ナオとタマの「持ってる」弾で勝利/ナビスコカップ vs.新潟

17時40分、横浜での仕事が終わるやいなや、駅まで走り、階段を跳び、電車に駆け込み、国立競技場・千駄ヶ谷門から人波を泳ぐようにしてようやくゴール裏スタンドにたどり着いたとき、スタンド後方のビジョンには川淵三郎・Jリーグ初代チェアマンの顔が大きく映し出されていた。

5月15日は20年前に産声を上げたJリーグの初試合がこの国立で行われたということで、このたび記念日になったそうだ。
1993年といえば、もう「ヤング」と呼ばれる年頃でもなかった。
職場のサッカー好き仲間と酒を飲んでは、「果たして日本でうまくいくのかねえ」と少しやぶにらみ気味に語り合いながらも、胸の内は少年のようにワクワクしていたのを覚えている。

個人的には“地域密着”というJの理念に、大いに魅力を感じていた。
テレビの「三菱ダイヤモンドサッカー」に出てくる外国のクラブには、企業名の付いたチーム名などなかったし。
鹿島、浦和、横浜、清水、大阪など、地名が冠に付いたクラブ名称に、「いいね!」と思っていた。
国内発行部数第1位の大新聞社の親玉による、自分とこの会社名をチーム名に付けさせろという筋違いで身勝手な主張には、大いに腹を立てていたものだ。

残念なのは「東京」という名のクラブが存在しなかったこと。
自分にとっての地域密着クラブがないわけで、どこを応援すればいいんだよというのが当時の素直な気持ちだった。

しかし今ではこうして東京をホームタウンとするクラブがあり、応援する自分がいる。
どちらも20年前には想像できなかったことだ。こんなに嬉しいことはない。
たとえこれから20年後までにリーグ優勝できなくても十分に満足、とまでは言わないでおこう。それではちょいと困る(笑)。

試合はナオのゴールで先制し、その直後に同点とされるも、残り時間が少なくなったときに途中出場のタマが決勝ゴールを決めて勝利。
記念すべき試合でのゴール。ナオが「持ってる」のはこれまでの実績から明らかだが、タマもこの際だから「持ってる」ということにしてしまおう。

キャプテンマークを巻いたアーリアが開始まもなくの負傷で交代してしまいヒヤッとした。
が、代わった河野はたぶんこれまでで一番長い出場時間だったが、これに比例してプレーでも特性を発揮したと思う。

後半は忠成に焦点を当てて動きを眺めていたのだが、かなり周囲とのコンビネーションを意識し、かつストライカーとしての自覚を持って打つべきところは打っていた。
昨年の千真がそうだったように、秋風が吹き始める頃になると本格的にゴールを量産するのでは……と、勝手に6月以降の契約延長を決め込んでいる。

ナビスコ予選リーグ敗退は自業自得。
毎年毎年、秋晴れの空の下での決勝を夢見ているのに、今年は早くも弾け散ってしまった。
こうなると目標はリーグ戦の快進撃、それと、気が早いが天皇杯元日決勝に絞られてくる。
特に理由はないが、今はあえて「優勝」の二文字は口にしないでおく。もう十分口にしているという話もあるが。

何はともあれ、湘南戦逆転負けのどんよりした空気は一掃されてよかった。
この調子で中断前の残り2試合は連勝でいきたいもんですな。

ヤマザキナビスコカップ Bグループ第6節】東京2-1新潟
2013年5月15日(水)/国立競技場/19:04キックオフ/[観客12,724人]
得点:後半6分石川直宏/後半20分岡本英也(新)/後半37分三田啓貴