災い転じてなんとやら

この1週間は各種サイトや新聞のニュース・新情報にまばたきし、雑誌やブログの評論・分析・考察にうなずいたり考えさせられる日々が続いた。すべてFC東京についての話である。

一連の流れから自分なりにはっきりしてきたのは、このクラブはプロとして設立されてから今日に至るまで、フロントも現場も体質そのものは大きく変わっていない、ということ。何もかもが社長を中心に回りすぎている印象は免れない。

“強く、愛されるチーム”はいいけど、「東京ならでは」の明確な方向性やポリシーは相変わらずアンニュイなまま。よく言えばまだ発展途上なのだろうが、本当に期待する方向へ向かっているのかどうか。

世界的な巨大都市である東京はこの国の首都であり、政治・経済・文化の中心。それと同時に、この街で生まれ育った人をはじめ、そうでなくとも学んだり、働いたり、遊んだりした一個人にとっては生活の場であり、その意味では日本中の市町村とひとつの地方都市だと思っている。

だから東京には、あまり使うのは得意な言葉じゃないのだが、「誇り」をもっている。都内東西南北あちこちのエリアに思い出があり、大好きだ。「東京は危ない街だ」「東京の人間は冷たい」という世評は聞き慣れてはいるものの、「わかっちゃいないね」という気にさせられる。

横道にそれてしまったが、話をFC東京に戻そう。つまり、そのような国際都市であり地方都市である東京に根ざしたサッカークラブだからこそ、運営にはむずかしい点が多々あることは想像に難くない。

しかし裏返して考えてみれば、これほどまでに多大なる可能性を秘めたクラブはないとも言えるのではないか。集客しかり、スポンサー集めしかり、メディアとの関連性しかり。まだまだ限りない可能性に満ちあふれている。

過去を振り返ってみると、急激な右肩上がり成長を果たしてきたわけではない。さらに今回降格したわけだが、悲観的になりすぎることは禁物だ。当然考えるべき部分は考える、見直すべき部分は見直す必要性はあるだろう。

しかしそれだけじゃダメだ。こんなときだからこそ「東京ならでは」の長所や独自性を加味してもらいたい。「災い転じて福となす」のことわざ通り、この苦境はうまくすればクラブにとって好転へ向かう大きな転機となると確信する。

いろいろ考え合わせてみれば、現在まで続いている(ように見える)社長の一元管理体制があまりにも強大化しないことを望む。リーダーシップをとることは構わないのだが、今後の組織としての成熟・発展のためにも分権化の方向へ向かっていただきたい。

内外問わず有益なアイデアや知識、実行力を持ち合わせた人、頭は使わないけど体を動かすぞという熱い心意気の人はたくさんいるのだから、いろんな部分で見受けられるマンネリや思考停止状態は打破できるはずだ。

などと力説したけれど、やっぱり何を差しおいても大事なのは勝てるチームを作ることですね。天皇杯へ向けての小平での練習も再開したし、ファン・サポーターの多くは来シーズンへ向けて気持ちを切り替えている(ホントか?)。

監督は大熊さんの続投が決まり、あとは財政面等々との兼ね合いで選手の補強や残留が決まるのだろう。感情だけで言えば1人でも多くの選手の残留に期待こそすれども、わたしなんぞの計り知れない世界であるので、最終的には「うまいことやってほしい」としかいいようがない。城福さんの言葉通り、「停滞は後退」なのだから。



↑西日が傾く金曜日の小平。全体練習終了後、奥のピッチでは若手選手が居残ってボールを蹴り合う。平日のこの場所は連日のニュースとは無縁の澄んだ空気が漂っていた