奥多摩の渓流でクラブ愛を思う

日時はさかのぼって8月15日のこと。新潟からアルビサポKが東京へやってきた。桜が咲く前の3月以来だから半年足らずなのだが、なんだか1年ぶりぐらいの気がした。7月下旬に病院の定期検査をクリアし、意気揚々の上京である。

今回はいつも行く高田馬場の店も吉祥寺の店も、盆で休業だという。では猛暑だし気分を変えて……ということで、奥多摩の「町営峰谷川渓流釣り場」へと出かけてみた。前夜、車で到着してお疲れのKを途中乗せていくつもりだったのに、「自分の車で行くよ」ということで、朝6時半に現地で待ち合わせ。

今回はKを知る仲間に声をかけたところ、5名が集まった。僕はちょくちょく会っている方で、2年半会っていない人もいる。「なんだい、全然元気じゃん。毎晩新潟の街を飲み歩いてるんじゃないの」と皆が口を揃えて冷やかす。Kは「そんなことないって、カラ元気だってば」と口を尖らすが、やはり久しぶりの再会にうれしそうだ。

前夜、僕はカシマへ行くかどうか迷っていた。しかし、あそこは遠い鹿の国。早朝に出かけることもあって、今回は見合わせた。一方、Kが応援するアルビレックス新潟は13日(金)にアウェイ山形戦だった。東京へ出発する前夜だったから、やはり現地行きは断念していた。

「おとといは山形に負けちゃったからねぇ。もし行ってたら帰り道は疲れちゃって、たぶん今日はここにいなかったよ。エフシーは惜しかったね。アウェイの鹿島相手にドローなら御の字だよ。後半の内容は悪くなかったし」

このところのアルビの快進撃に上機嫌のはずが、喜び控えめのK。いつもならもっとガンガン“エフシー口撃”してくるところなのだが、東京の不調ぶりから、気をつかっているらしい。おいおい、そこまでどっぷりドツボにはまり込んではいないぞ。こんなことは前にもあったしね。

「俺さあ、8月に入ってから新潟市の町おこし関連の仕事を始めてね、まずはあちこちの商店を回っているんだよ。そうすると、結構サッカーの話題になったりするんだわ。あ、もちろん主にアルビの話ね」

沢の瀬音が大きくて聞きづらいなか、Kは話し続けている。放流物のニジマスが各人に1匹、2匹と釣れてくる。木陰で直射日光が避けられるため、平地と比べれば2、3℃は低い感じ。釣りはそこそこにして、火おこしの仕度に移った。薪に着火し、炭に移るまで番をする。

その間に肉、野菜の準備。といってもすべて刻んであるので、この段階ではとくに何もやることはなし。最後に食べる予定のそうめんの薬味もタッパーに用意済みだ。忘れたのはチューブのおろししょうがだが、これがないからって死活問題ではないので「ま、いっか」である。

「でね、アルビが今よりもさらに盛り上がっていくためにはどうしたらいいのか、という話になるんだよ。もちろん強いこと、勝つことは大事だよね。でも、それだけじゃなくて、何があろうと応援し続けるぞっていう気持ちの源って……」

Kの話はここらへんで一時停止した。炭はしっかり赤く燃え上がり、ニジマスがつぎつぎと焼けていく。他の連中はまだ釣っている。あんまり釣りすぎても食べ切れないっつーの。



「いや〜っ、こういうところで食べるニジマスはうまいね。だからって、これを家に持って返って食べるとイマイチなんだよな。しかし奥多摩っていいよね。東京の風景じゃないんだけど、やっぱり東京なんだよな。新潟にはこんな立派な管理釣り場ないもんね」

いつもながらのセリフがまた始まった。故郷新潟に帰ってから3年たつが、相変わらず東京への思いが湧いてくるのか、必ずこの手の話の流れになる。河原では近況報告に始まり、ああでもないこうでもないと話に花が咲いた。

Kはまだ働き始めたばかり。病気のブランクを経て、2年ぶりの仕事なのだ。だから今回は勤め始めたばかりの職場の盆休みを使っての上京だ。身体に無理することなく、ぜひとも頑張ってもらいたい。
          

ところでKの一時停止した話は再び始まることはなかった。ただ、ずっと頭のどこかに引っかかっていた。ニジマスの日から実に9日もたった昨夜、ぼんやり考えてみた。

強いこと、勝つことは大事なことだ。このところはとくに、そのことをじっくりと痛感している。かといって、勝ちさえすればそれだけで満足なのかというと、必ずしもそういうわけでもないという、ややこしい心理も持ち合わせている。

では、何があろうと応援し続けることの気持ちの源とは……それに対する答えはいくつもあるはず。十人十色、各人各様であっても不思議ではない。それら無数の答えのどれにも貫くかれているものこそが源なのかもしれない。

それは何か。答えはただひとつだと思っている。
何のひねりもないが、これしか思い浮かばない。愛は、監督・スタッフのため、選手のため、FC東京にかかわるすべて――つまりはクラブのために注がれる。

本来、愛は無償のものであり、見返りなど求めるのは純粋ではない。これだけ応援しているのに、これだけチケット代・交通費・ビール代等々使ってるのに、これだけ○○してるのに。もし自分の望み通りにならずなかった場合、その人の愛は消えてなくなってしまうのだろうか。

自分にせよ、見返りを求めていないといったらウソになる。勝ってほしいし、願わくば優勝してほしい。そして大好きな東京の街に根ざしたフットボールクラブとして、末永く歴史を重ね続けてほしい。見返りというより夢と言うべきか。しかし、これらが必ずしも得られないにせよ、自信を持って「愛は変わらない」と言えるし、言える自分でありたい。

純粋な愛をもって応援しているかどうか、試される時がひさびさにやってきた。