理解力不足

最近、ふとした時間ができると考えるのは城福サッカーの戦術についてだ。昨年来、何度も繰り返し観たり、聞いたり、読んだり、感じたりしながら、自分自身の稚拙な知識を兼ね合わせて理解しているつもりではいる。それでもこうして新シーズンが始まり、思うように結果が伴わなかったり、システムやポジションに変更があったりすると、あれこれ考えるうち、頭がこんがらがってしまうことがしばしば起こるのである。

サッカーの監督はつねに理想と現実、内容と結果の狭間にあって、その中において自分の信念を貫き通せるかどうか。ここが最も難しい部分であるにちがいない。僕が思うところ、城福さんは思うように結果が伴わない状況にあっても、意志堅固に自分のサッカー理論にもとづく戦術にこだわり続けているという印象だ。高い理想を抱き、コンディションに応じた修正を施しつつも、目標に向けてけっして遠回りはしない。そう見ている。

昨年の監督就任以来、城福さんの指導や采配はブレることは一切なかったと思い込んでいる。結果にかかわらず、何をしようとしていたかは、よく伝わってきていた。しかし最近は自分の理解度がどうも一、二歩ぐらい遅れている気がして仕方ない。結果が伴わないので余計そう感じてしまう。これがもどかしくて仕方ない。

いろいろ考える中で、いま一番気になって仕方ないのがカボレのことだ。毎試合、観ているたびに感じるのは「攻守にわたり活発だが、孤立気味」ということ。ただし、そのアクティブさが結果に反映されるケースはめったにない。その前の神戸戦では大竹のゴールに絡む動きは見せたものの、先日の磐田戦ではまた中盤とは離れたプレーばかりが目立った。現在の東京が中盤をほとんど支配できていないことに大きな原因であるとは思うのだが……。

カボレの使い方については、「昨年後半のように、左サイドに張った形にするのが一番簡単に結果につながる」のだが、「城福監督はそれを停滞=後退とみなしているため、そのポジションでの使い方をしない」という意見を見聞する。しかし、これも「そういうものなのか!? よくわからんなあ」と首をかしげてしまうのが実際のところなのである。

かのイビチャ・オシムでさえ「戦術というものは紙に書いて説明できないし、ひと晩で身につくものでもない」と語っているわけで、素人の僕あたりがそう簡単に理解できるもんじゃないのかもしれない。でも、ああでもない、こうでもない、どうすればもっとよくなるものか……などと考えるのも、また楽しかったりするのだが。