リオの決定、東京の落選。

2016年五輪開催地にブラジル最大の都市・リオデジャネイロに決まった。ブラジルは2014年のW杯(もちろんサッカーの)開催国にすでに決定ずみ。たった2年の間に同じ国内で「二大国際スポーツイベント」がたて続けに開かれることになったわけだ。

こんな事態ってかつて例があったのだろうか。調べたわけではないが記憶にない。ブラジル社会は今後数年間で大きく変わっていくことは間違いない。それでもなお、少年たちは街頭でボールを蹴り続け、夢のプロフットボールプレーヤーが生まれていくのだろうか。

リオ以外の立候補地では、シカゴがオバマ効果で本命かと思われたが、アメリカでの五輪はもう飽き飽きだった。マドリードは「ロンドンの次にまた欧州か」という思いもあるし、カタルーニャ問題があるとはいえ同じ国内では1992年にバルセロナでも五輪が開催されたこともあって軽視された。

で、シカゴに続いて2番目に落選した東京。そもそも事の始まりからしてあの都知事らしく、都の財政がヨタヨタゴタゴタしている真っ最中に「都民から徴収した血税をもとにオリンピックをやるから。これやると、儲かる人は儲かるぞ」ってな感じ。見切り発車の暴走列車という印象だった。

いきなりそんな話が降って湧いてもすぐにはピンとこない。五輪自体を否定する気は毛頭ないが、順序があべこべという感じ。開催したい理由が純粋であれ、不純であれ、まず最初に「東京で五輪をやりたいよね、やろうよ」という空気をつくるべく、プロモーションで仕掛けていくべきだった。

都民の五輪開催支持率が上がらないのは、こうした気運の高め方の下手くそさが大きく影響したのだと思う。立候補宣言以前に時間をかけて下地を整えなくっちゃ。あとから欽ちゃんやQちゃん、クルム伊達公子さんたちを使ってCMやったり、都内の商店街にフラッグ立てまくっても効果は薄いですよ。

景気はちっともよくならないし、庶民の生活は苦しい。新銀行東京問題だって全然片づいていないというのに、これ以上の無駄づかいは許せない。いざ決まれば都内は公共工事のオンパレードでハチャメチャな状態になるだろう。あー、やだやだ。東京の開催地立候補に対しネガティブな思いはぬぐい去れなかった。

でもその半面、僕もそうだがみんなスポーツは大好きだ。五輪といえば、各種競技についてのトップアスリートが世界中から集まるスーパービッグイベント。それが自分の住む街で開かれるという誇り、自分の目で直に観られることのうれしさは、他の何物にも代え難い喜びがあることは言うまでもない。

ほぼ五分五分の気持ちがよく表れたのが、東京都民対象に実施されたアンケート結果の開催支持率55%という数字なのだろう。賛成、反対という明確な答えに至らぬままの「どちらでもいい」「どちらともいえない」の人が多いのではなかったか。

「あれこれ問題あるけど、開催したらうれしい」あるいは「やってもらいたいけど、やっぱり問題ありあり」「東京は2回目だし」「他でやった方がいい」その他の理由があるのだろう。

ちなみに僕の気持ちも、最終局面になってもまだグレーゾーンの考えのままだった。理由はうまく言えないが、「開催して盛り上がりたいけど、生まれ育った東京の街がまた壊れていってしまうのでは」という感じだ。

南米大陸で初となるリオでの五輪開催決定には大賛成。熱いサンバと透き通ったボザノヴァのリズムに包まれ、きっとエキサイティングな大会になるだろう。決定したときのリオ市民の喜ぶ姿を見ていたら、わがTOKYOはとてもじゃないが勝てないのも当然だし、それでよかったと痛感した。